kalafinaのスタッフに物申したい
小学生六年生くらいのころ、愛読書が空の境界で、アニメ映画化の際にkalafinaを知った。
私にとって、kalafinaとの出会いは衝撃だった。
アーティストとしての在り方があまりにも完璧で、私が求めていた理想のアーティストそのものなのだと今でもしみじみ思う。
だからこそ、あまりにも無念な終わり方をしてしまったことだけが、悔しくて哀しい。
音楽を心から愛していて、まっすぐに自分たちの歌と向き合い、たゆまぬ努力をしてきた三人の十年が、こんなにもあっけなく終わるなんて。
互いの声を無理なく綺麗に重ねられるということ、喧嘩ではなく話合いながら、互いを尊重しあえるという理想的なグループでした。
蔑みあうでも憎み合うでもなく。認め合って助け合いながらも、一人ひとり自立していて、本当にかっこいいアーティストそのものだった。
こんなに素晴らしいアーティストグループは、この先百年経とうと、日本に現れないと思う。
似たような人たちが現れたとして、それはオリジナルであるkalafinaに似ても似つかぬ別もの。
梶浦プロデューサーが抜けて、Keikoも辞めてしまった今、ネット上で心無い言葉が少なからず飛び交っていることが、苦しい。
関係者達は彼女たちの才能の上であぐらをかいていなかっただろうか?
ライブディスクの映像のカメラワークなどがひどいと度々言われていたが、とうとう改善されなかった。
全く何も知らない人たちが好き勝手言う前に先手を打つべきだった。
核心に触れるような詳細は一切公開されず、彼女たちの本音もどこか不透明なまま。
これは事務所の方針なのか、彼女たちの意向なのかすらも、はっきりとわからないまま。
素晴らしいアーティストたちが100パーセントの状態で舞台にたてなくなるような不幸な事態を招かぬよう、アーティストが最高のパフォーマンスがこれから先もできるような環境をつくるのが事務所の仕事ではないのか。
梶浦由記を追い出し、歌姫を追い詰め、彼女たちは何も悪いことなどしてはいないのに、批判される。
あんなにも魅力的な歌姫たちを、素晴らしい音楽を、奪ったのは守ろうとしなかったのは他でもない貴方たちではないの?
彼女たちの才能を金に換え、そのおこぼれをもらうことしか考えていなかった。
日本の音楽業界に明るい未来などこない。
彼女たちを心から支えて守ろうとした人もいたかもしれないけれど、どうしても、そう思ってしまう。
あまりにも情報が少なすぎるからか、彼女たちの本音も見えないからか。
なんにせよ、この先、奇跡でも起きない限り、kalafinaの新曲を聴くことも、ライブに行くこともできない。
あまりにも無念で、まだ持て余している。
彼女たちの音楽の旅の終わりは、どこまでも続いて行くような余韻と共に終わらせてほしかった。
人々の間で、音楽の神様に愛された象徴として、在ってほしかった。
こんな終わり方はふさわしくない。
彼女たちの刻んだ十年に、全く釣り合わない。